2009年8月12日水曜日

バオバブの記憶


 サン=テグジュペリの小説「星の王子様」に登場する、星の奥深くにまで根をはり、やがて星を貫通してばらばらにしてしまう「バオバブの木」。作家にはきっと、何本もの指を空に向かって伸ばすような姿が不気味に見えたのでしょう。けれどアフリカのセネガルに生える実際のバオバブは、精神的な支えと豊穣な実りをもたらす善き隣人です。

 バオバブ林の村に住む一家の男の子、モードゥを中心に、アフリカの大地で慎ましく、けれども豊かに暮らす村人たちの生活を映すドキュメンタリー「バオバブの記憶」。薬にして良し、病の快癒を祈って良し、家畜に樹皮を食べさせても、実をジュースにしても良しと、まさに生きたアロエ軟膏です(超余談ですが、わたしの実家では「アロエ軟膏万能説」が固く信じられていて、切り傷はもちろん火傷、湿疹、たんこぶ(!)にまで広く塗られていました。適当な親だったので・・・)

 バオバブは神聖な木なので、どんな突拍子もない場所に生えていても絶対に切ってしまうことはありません。神聖であると同時に、子どもたちが幹をがしがし削って木のぼりしたり、遊び場でもあります。昔からそこにいるおじいちゃんみたいな存在、でしょうか。

 目にも鮮やかなアフリカ女性の衣装や、突撃!アフリカの晩ご飯的な1シーンも。見た後はきっと庭にバオバブの木を生やしたくなるはずです。



本橋成一監督 過去作品特集!

新作「バオバブの記憶」で舞台挨拶される本橋成一監督の、過去作品の上映が決定しました!自然と人間の関係を描き続けてきた監督の、優しい眼差しに溢れた3本。

「ナージャの村」は、チェルノブイリ原発事故のわずか数キロ先の村に、退避勧告が出ているにも関わらず留まり続ける6家族。放射能に汚染されていても、ユートピアのように美しい自然。「生きてる限りは働かなきゃいけない」と畑を耕し、きのこを採り、自家製ウォッカを作る人々。豊かさってどんなこと?写真家ならではの映像が冴えます。 
続く「アレクセイと泉」も、チェルノブイリ事故で被災したベラルーシの村の話。村の畑からも、小学校跡からも放射能が検出されるが、古くからある泉からは検出されない。「今湧いている水は、百年前の水だからね」と誇らしげに村人は言う。遠く離れた星の光が地球に届くまで、長い時間がかかるように。そうすると、そのまた百年後の水は・・・。続いてゆく命の連鎖について思いを馳せます。 
舞台は一転沖縄。「ナミィと唄えば」のパワフルおばあナミィは三味線一筋人生。レパートリーが幅広すぎて、人間ジュークボックスの異名をとるほど。そんなナミィが三味線片手に旅に出た!旧友との再開、与那国島での鎮魂、どんなときでもナミィは唄う。夢は唄って踊ってヒャクハタチまで。さあみなさんご一緒に。 

期間中は本橋監督による「バオバブ」写真展や、サイン会もございます! もりだくさんな7/11からの上映+イベント、お楽しみに。

小三治


 お年寄りをつかまえて「かわいい」とのたまうようになったのはいつからですかね? 

 言われた方もちょっと嬉しそうにしていたりすると余計鼻白んでしまいますが、このお方にそんな言葉をかけたら多分、殴られます。 

 泣く子も黙る落語家、真打ちの中の真打ち、柳家小三治。落語という伝統芸能の世界に身を置きながら、中野鈴本演芸場にグランドピアノを持ち込んで、趣味の声楽の発表会をしてしまったり、スキーに興じたり。いつでも新しいことに挑戦中の少年のようでいて、決して「かわいく」はない。それは「100点じゃないと気が済まない」と本人が言うように、常に本業の落語で真剣勝負をしているから。 

 弟子にも付き人にも厳しい、でも落語をする自分に一番厳しい師匠の芸には、やはり度肝を抜かれます。左右に首を振る度にまったく違う人物が現れる。 

 落語好きもそうでない方も、凄みのある高座を是非一度。

ベルサイユの子


 昨年37才で急逝して世界中を驚かせたギョーム・ドパルデュー。父ジェラールとの確執、ドラッグ中毒、無謀な運転によるバイク事故で負った脚の重傷、そして切断。波乱に満ちた生涯はそのつど演じる役に反映され、有無をいわさぬ説得力を持っていました。

 特に昨年KAVCでも上映された「ランジェ公爵夫人」の孤独な激情家モンリヴォー伯爵はハマり役、というか多分素ですね。こんな人身近にいたらしんどいだろうな〜、と思いながらも、抗しがたい魅力がむんむん。そんなつれない夫人の代わりにわたしが!と申し出たかったです(即却下されそうだけど)。 

 そのギョームが死の間際に主演した「ヴェルサイユの子」。社会からドロップアウトして、ヴェルサイユの森でホームレス生活をする男ダミアンが、うっかり連れになってしまった少年エンゾの面倒を見ることで、だんだん人間らしさを取り戻していく。でもエンゾは他人の子。ダミアンが悩んだ末にとった行動とは? 

 実際にベルサイユ宮殿の近くの森で暮らすホームレスもいるんだそう。きらびやかな過去の遺物(異物)のそばで、明日をも知れぬ暮らしをするのはどんな気持ちがするもんでしょう。スーパーの期限切れ廃棄物のゴミ箱にはホームレス避けの劇薬が撒いてある。それを見てダミアンが毒づく、「俺たちがどれだけ欲深いっていうんだ!」妙に耳に残ります。 

 エンゾの幼年時を演じるマックスくんは、写真で見るとできそこないのキューピーみたい(ごめん)なんですが、実際動いてるところはかわいいです。でもやっぱり歩くキューピーに見えて仕方ないですけど。  ギョームが人生の最期に放つ光を見届けに来てください。  

アライブー生還者ー


 1993年のイーサン・ホーク主演映画、「生きてこそ」。1972年に雪山で墜落した航空機に乗り合わせた若者たちが、壮絶な体験を乗り越えて生還した実話をもとにした映画でした。けれど食料がほとんどない中で、どうやって16人もの人々が2ヶ月間も長らえたのか?
 「生きてこそ」でもショッキングに描かれていたその内幕を、実際の生還者たちが、30年以上が経過した墜落現場で語るドキュメンタリー「アライブー生還者ー」。彼らは当時20歳前後だったそうなので、現在まだ50代半ばの壮年なのに、老人のように深く刻まれた皺は当時からずっと続く苦悩を物語るようです。
 実際に彼らがどうやって生き延びたのか、「その方法」を採ると決めたときの葛藤、などは実際に映画を見ていただくとして・・・。生還者たちの体験が、ちょうど今読んでいる「倫理ー悪の意識についての試論」(byアラン・バディウ)で述べられていることに偶然リンクしていて、考えさせられました。曰く、「『真理』と『世論としての倫理』は相反するもので、真理が真理である条件としては、ある出来事が作り出した新しい状況の中で不特定の担い手ないし共通の意識(任意の何者か)が立ち現れ、それが出来事に忠実であり続け、世俗の利益や保身に無関係であること。先に控える状況が既知でなく未知であること。例としてはフランス革命」
 革命のような社会的現象でなくても、一連の同じ流れが当時の彼らの中でも起きていたように思います。死ぬことの方が肉体的にも精神的にも楽だった、その中で彼らを生かそうとした「任意の何者か」と「忠実さ」。「世論としての倫理」はそれを否定するかもしれませんが、言葉では到底割り切れない状況を経験した彼らは、わたしたちが計り知ることのできない何かを共有しているかもしれません。

四川のうた


 「長江哀歌」の大ヒットも記憶に新しいジャ・ジャンクー監督の最新作、「四川のうた」は、閉鎖の決まった中国の国営工場を舞台に、ドキュメンタリーとフィクションをモザイク状に組み込みながら、そこで働く人たちの人生=中国の50年の縮図を描きます。 解雇される人たちの嘆き、地方と都会の格差、世代間の隔絶と、問題は日本のそれとうつし鏡です。一度途方に暮れても、自分を信じてまた歩き出す人たちの姿は希望を呼ぶことでしょう。
 
 4月1日発行の「ART VILLAGE VOICE」のトップページのインタビューで、 ジャ監督が日本の皆さんにメッセージを送ってくれています。是非お読みくださいね。

ゼラチンシルバーLOVE



ゼラチンシルバー写真: 銀塩写真。感光材料が塗られたフィルムを露光させる方式で撮影した写真のこと。

 対岸に住む美しい女を、ビデオカメラで24時間監視する男。依頼主の目的がわからないままひたすらビデオを回す男は、いつしか言葉も交わしたことのない女に魅かれるようになる。女は出かける前に必ずゆで卵を一個食べる、まるで何かの儀式のように。
 人が死ぬ現場にたたずむ女に遭遇する男。ある日女は男の前に現れて、自分は暗殺者だと言う。「わたしは美しいものが好き、例えば人の死ぬ瞬間の顔とか」
 男はテレビ画面に映した女を狂ったように、ゼラチンシルバーフィルムで撮り始める。触れられないからこその執着をもって。自分が美しいと思ったものにだけ感光する男の心に、女の姿は救いがたく焼き付けられた・・・

 「見るということの中には必ずサディズムがある」と言ったのは誰だったか、でもこの場合はマゾヒズムでしょう。ふたつは表裏一体とも言われますね。
 浮世離れした設定を支えているのは、暗殺者を演じる宮沢りえの絶対に手が届かない高嶺の花感と、撮る男を演じる永瀬正敏の黙っていても滲み出るセクシーフェロモン。脇(というには豪華すぎる)を固める役所広司、天海祐希も大人の魅力で、映画の世界観を一層揺るぎないものにしています。
 繰上和美監督は、著名人のポートレートを数多く手がける写真家。これが初の映画作品ながら、人物を撮ることへの美学が存分に生かされた映像が見る人を惹き付けてやみません。

 KAVCでは6月公開。もう少々お待ちください!

クローンは故郷をめざす

年度が開けたと思ったら桜の咲いた散ったにやきもきし、あっというまに四月も中旬になろうとしていますね。 今年は桜の開花は記録的に早かったというのに、そのあと真冬並みの気温が続いて、すっかり満開の時期を読み違えてしまいました。おかげで花のない花見をするはめになり・・・ ただ今週いっぱいは楽しめそうですね。 皆さんお花見は済まされたでしょうか。
そうこうしているうちに、今年もGWがやってきます。 5月のラインナップは各所で紹介していますが、最近追加になったばかりの作品の紹介を。
5/16からはミッチーこと及川光博主演の「クローンは故郷をめざす」の上映が決定! 人間の完全なクローンを作ることが可能になった未来。宇宙飛行士の耕一は、宇宙で事故があった際のバックアップにと、記憶も肉体もすべて自分と同じクローンを作ることを勧められる。計画に同意した耕一は事故に遭い帰らぬ人となるが、耕一のデータをすべて再生したクローンが誕生する・・・はずだった。しかしクローンの記憶は、耕一が双子の弟を事故で亡くした少年期で止まっていた。
石田えりや永作博美などの演技派を相手に、映画初主演とは思えないほどの熱演を見せるミッチーがみものです!

キャラメル




 中東女性のイメージを鮮やかに裏切る映画です。
 一口に中東と言っても、イスラム原理主義の独裁政権がある一方、穏健な民主政権もあるというのは知っていたのですが、どうにも女性はチャドル(あの被ると黒いおばけみたいになるやつ)をまとっているイメージが。まあそれは極右だとしても、少なくとも皆スカーフくらいは被っているだろうと思っていたわけです。
 
 ところが。「キャラメル」の舞台は首都ベイルートの美容院。髪を見せること前提じゃないと成り立たない商売ですよね。美容院で働く女性も常連さんもみんな髪巻いたり染めたりオサレ。首都だからっていうのをさっぴいたとしても、軽くショックだったわけです。

 で、レバノン版SATCとか言われてるみたいですが、そこまでスラップスティック色は強くなく、むしろアルモドバル?不倫や結婚への不安、老いらくの恋や、仄めかし程度ですがレズビアン的な要素さえ。レバノンの恋愛事情・・・未知の世界をのぞきに行きませんか!

心理学者 原口鶴子の青春〜100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと〜


 100年前、NYはコロンビア大学に単独留学して、心理学の博士号をとったうら若い日本人女性をご存知ですか?今だって十分高いハードルなのに、渡航先の情報が今とは比べ物にならないほど少なかった当時、並大抵の努力では成し遂げられなかった功績では。
 けれどその努力を努力と思わない人というのが、鶴子さんに感じた印象。映画中で頻繁に紹介される、鶴子さんの著書「楽しき思ひ出」では、日々海外生活の新鮮さに感動し、生き生き毎日を楽しむ姿が浮かんできます。名士の集まる舞踏会に呼ばれて和装でダンスを踊ったこと、ファッションにも強い興味があり、日本の妹に流行の雑誌を送っていたこと。
 もちろん本業の学業にも人一倍力を注ぎました。試験前は寝る間を惜しんで勉強し、自らを実験台にして心理学上の困難な実験を行ったりも。その甲斐あってか、指導教授に業績を高く評価され、論文が専門書に引用されたこともしばしばです。  輝かしい業績に満ちた留学の日々でしたが、日本に戻った彼女を病魔が襲い・・・。
 もちろん恵まれた家庭環境、類い稀な才能と心身の健康という条件が揃っていたためではありますが、彼女を見ていると「何だってできるかも!」という気持ちにさせられるから不思議です。百年前の女性に元気をもらいに来ませんか?

懺悔

年度末いかがお過ごしでしょうか?それなりに忙しいせいもあり、 すっかりブログの更新をサボっておりました。 年度明け4月から、初夏にかけての話題作の上映がぞくぞく決まっております。
 
崩壊前夜の旧ソ連のお膝元、グルジアで撮られた「懺悔」。 なんと日本初公開となるこちらは、「ざくろの色」を思わせる抽象性と詩情を醸しながら、しっかり体制批判にもなっている傑作です。 亡くなった独裁者の死体が何度も掘り返される事件が起こる。被告人として法廷に現れた女性は、独裁者によって理不尽にも引き裂かれた家族の歴史を話し始める。 理不尽を理不尽と知りながら、自分かわいさに何もしない人々。独裁者よりも何よりも、一番怖いのはこういう類いの人たちです。権力者にとって無関心は何よりの援護射撃。自分が世界各地で起こる紛争や戦争に加担していないと、胸を張って言えるでしょうか?