2009年11月12日木曜日

「或る音楽」舞台挨拶


映画「或る音楽」は、映像作家・音楽家の高木正勝さんのコンサートプロジェクト「タイ・レイ・タイ・リオ」を、高木さんへのインタビューを織り交ぜながら追ったドキュメンタリー。初日には、友久監督と高木さんが舞台挨拶にいらっしゃいました。

 高木さんによると、コンサートタイトルは、「ゆっくり振れ、ちいさく振れ」という意味のポリネシア語だそう。世界中を旅しながら作品を作る高木さんは、今回のコンサートのテーマを「音の起源と神話」に求め、世界中の神話からインスピレーションを得た楽曲でコンサートを構成しました。

「今ではあたりまえになって広く習慣になっていることって、個人的な行動が始まりだったりするんです。お正月の鏡餅とか、神社のかしわ手とか。あれってどうしてパンパンって音をたてるか知ってますか? 神様を音で起して願いを聞いてもらうっていう意味があるんですけど、それだって誰か一人が最初に始めたことですよね。音楽も、誰か初めて音を奏でてみようと思った人がいて始まった。その時代に思いをはせてこのコンサートは出来上がりました」

「今日は2人連れで来られてる方も多いかと思うんですが、2人で映画見てるときって、『隣の人は楽しんでるだろうか』とかがお互い気になって、2人の間にもうひとつの人格ができちゃったりしますよね。でも今日はそういうことを忘れて、ひとりになって感じることを感じていただけたらな、と思います。自分で音楽を作られたり、創作される方もいると思うんですけど、自分が初めて音を奏でたとき、初めて文章を書いたときを思い出してほしいですね」

 

さらに話は高木さんの謎に包まれた私生活? へ。

「最近、家の屋根にのぼって楽器を演奏するのが好きなんですけど、そのうち周りの家からもいろんな楽器の音がするようになって。近所の子供が僕の音に反応して、真似してたんです」

「純粋なところから染まっていくわけですね」と友久監督。

「そうですね。あと、窓を開けてピアノを弾いてたら、鳥が窓のそばに寄ってきたりね。山に向かって弾いたり。遠くのものに向かって語りかける感覚です」

 癒されますね。


 また、神戸アートビレッジセンターは友久監督のホームでもあります。以前KAVCの大学生の自主映画創作企画「シネック」に参加していた監督は、在学中にぴあフィルムフェスティバルで入選。ますますの活躍が期待される新進気鋭の監督です。


「或る音楽」は9/25まで16:00から上映中(24日木曜は休館)。

「今、僕は・・・」竹馬靖具監督 ティーチ・インレポート


 引きこもり青年・悟の日常と心の揺れを描き、海外の映画祭でも絶賛された「今、僕は・・・」。竹馬監督が上映終了後、ティーチ・インを行いました。


 この日は前の回に「精神」想田監督のティーチ・インがあり、始めは竹馬監督がひとりで話していたのですが、客席で聞いていた想田監督が飛び入りして、トークショーの体に。

 おふたりは竹馬監督が「今、僕は・・・」のサンプルを想田監督に送って以来のお知り合い。ふだんからたくさん送られてくるサンプルを見ることは少ないそうですが、お二人は奇しくも栃木県足利市の出身で、何となく縁を感じてご覧になったそうです。そうしたら完成度の高さにびっくり。「初めからこんなの作られちゃ、かなわないなあ」と笑っていらっしゃいました。


 それから制作の裏話に。この映画はたった50万円の資金をもとに、mixiで立ち上げたコミュニティでスタッフを募って作られたそう。「あのカメラはすごく主張するカメラだったけど、あれも素人の方?」と想田監督。「結婚式場で撮影を担当してる方です」と竹馬監督。実際、独特の紗がかかったような色合いの画面はとても美しく、作品世界を盛り上げていました。


 ラスト、悟と藤澤が山道を走るシーンは、なんと200回もやり直したそうです。商業映画では考えられません。低予算、ボランティアスタッフだからこそできた贅沢な試行錯誤ですね。


 竹馬監督、想田監督、ありがとうございました!

「精神」想田和弘監督 ティーチ・イン レポート(8/15)


ングラスをかけてさっそうと登場した想田監督。「格好つけてるんじゃないですよ。家で7.5匹猫を飼ってるんですが、猫アレルギーになっちゃって。0.5は餌だけ食べにくる近所の猫です」と、初手からお客さんを笑わせます

 ティーチ・インは10:30と16:25の回終了後にそれぞれ行われ、お客さんから鋭い質問がひきもきらずにきました。その中のいくつかをピックアップしてご紹介します。(Qは質問者、Aは監督)


Q:「前回は『選挙』で、今回は『精神』。まったく違うテーマを選ばれていますが、どうして精神病院を舞台に映画を作ろうと思われたんですか?」


A:「僕は東大出身なのですが、在学中に東大新聞という週刊の新聞の編集長をしていました。これがなかなかの激務で、毎日休みなく朝から晩まで働いていたら、ある日身体が全然言うことを聞かなくなったんです。おかしいぞと思って精神科へ駆け込んだら、燃え尽き症候群と診断されて。それまで精神病というのは特別な人たちがかかるものだと思っていましたし、友人たちからも、「精神科は自分から駆け込むところじゃないぞ」と揶揄されました(笑)でもそのとき、精神病が決して特別なことじゃないということが分かりました。僕自身にもあった『見えないカーテン』を取り払って、それを伝えたかった」


Q:「毎日患者さんと会って深刻な体験を聞くことで、ご自分がバランスを崩しそうになったことはなかったんですか?」


A:「僕はカメラごしに、アングルとか絞りのことを気にしつつ聞いていたので、どっぷり話に浸かるということは実はなかったんですが、妻(振付師のキヨコさん)は120%彼らに向き合って話を聞いていたので、ミイラとりがミイラの状態になってしまいました。結構激しい落ち込みが続いて、「この状態が続くようだったら、キヨコを岡山に返して」と義母に言われ、「ええー、離婚?」と焦りました。妻は自分で山本先生(こらーる岡山の医師)の診察予約を入れ、僕はやっぱりそこは映画監督なものですから、夫としての思いとは別に「これはすごいシーンが撮れるかも!」と思ってしまったのですが、「あんたの悪口言うんだから駄目!」と拒否されてしまいました(笑)。妻は診察後はスッキリした顔で出て来ましたよ。今では笑い話です。


Q:「出演されていた患者さんたちの、映画を見終わった感想はどうでしたか」


A:「それは僕が一番気にかけていたところです。映画を見ることで症状が悪化してしまう人が出たら、と恐れていました。実際、「見たくない」という人も何人かいました。映画の中で過去の辛い体験を告白している藤原さんもその一人で、僕は迷いに迷って彼女のシーンを入れたんです。岡山での試写の途中で藤原さんが現れて、「あのシーンは入れたんですか」って聞かれ、入れましたと答えると、「わたしはもう生きていけない」とショックを受けていました。僕も彼女の様子に「どうしよう」とうろたえていたのですが、映画の冒頭に出てくる美咲さんが、「でも、わたしはこれを見たことで、あなたのことが深く理解できた」と助け舟を出してくれたんです。藤原さんも美咲さんの言葉をきっかけに、徐々に納得してくれました。そうやって、患者さん同士で支えあって、議論してくれたことで、全国公開までこぎ着けられたんだと思います」


 最後には、藤原さんからもらったという手紙を朗読されました。真摯でユーモアのある手紙でした。


 参加してくださった皆さん、想田監督、ありがとうございました!

「マン・オン・ワイヤー」

の活動は黒点の多いときは活発に、少ないときは抑制されます。そして去年の夏からずっと、ひとつの黒点も見られないとか。このままの状態が続けば、地球はミニ氷河期に入るという説も。17、18世紀には毎年ロンドンのテムズ川が凍っていたそうです。その頃と同じような気候になったりして。温暖化から一転、寒冷化? 

 映画「マン・オン・ワイヤー」を見終わったとき、なぜかこの話を思い出しました。拙い想像力では説明できない、未知なるもの。 

 「マン・オン・ワイヤー」はフィリップ・プティというフランスの大道芸人についてのドキュメンタリー。彼はごく若い頃から大道芸に目覚め、世界各地を飛び回るうちに綱渡りに傾倒していく。フランスのノートルダム寺院の2本の塔の間、オーストラリアのシドニー・ハーバー・ブリッジでのゲリラ綱渡りを成功させ、次に目標に定めたのはニューヨークの今は亡きワールドトレードセンター、ツインタワー間。まだ建設途中のビルに通いつめ、構造と流通システムを研究した末、計画に賛同してくれた友人たちと共に、ツインタワーの対角線に「非合法で」綱を渡してしまう。そして地上400mに張られた一本の綱に足を踏み出す。 

 多分この人はどこかが壊れてしまっているんでしょう。インタビューを見ているとただの害のなさそうな多動で陽気なおっさんなのだけど、彼の内面はきっとものすごく偏っていて孤独なのでは。選ばれてしまった人というのはみんなどこかが壊れていて、その代償として才能を与えられている気がします。その相克に悩む前に何かが彼らを動かす。 

 フィリップがツインタワーのあいだを行き来したのは45分間。途中、自分を突き動かす存在に敬意を示すようにかしずく様は胸苦しいほどに美しい。誰にも理解はできない。ショーを終えて逮捕されたフィリップはマスコミや検事に「なぜあんなことをした?」と聞かれてその度に応えます、「理由はない」。 

 説明することができないからこその美しさというのは畏敬と寂しさを呼びます。理解を拒むもの、絶対の孤独を甘んじて受け入れているものを見るときの、やり場のない気持ちを。 

 彼は大勢の人に熱と興奮をもたらした、でもその内側はアラスカみたいに冷たい。その冷たさを思ってわたしは寂しくなります。

「CLEAN」

2004年のカンヌ映画祭でマギー・チャンに主演女優賞をもたらした本作。なぜか未公開のままでしたが、KAVCでは今秋公開です。


何はなくともエミリーを演じるマギーの魅力で、画面から目が離せません。夫と共にドラッグに溺れ、5才になる息子は義父母に預けたまま放埒な生活を送る(って、最近似たような話をニュースで聞いた気が)エミリーは普通の感覚では最低な女ですが、マギーが演じると人間的な脆さが先に立って、どうしても憎めないんですよね。


ロックミュージシャンの夫をオーバードーズで亡くしたダメージと、自身もドラッグ使用の罪で収監され、社会的制裁を受けたことで、もう一度人生をやり直そう、とかつて住んでいたパリに行くエミリー。ここで旧友たちの助けを得ながら、離れて暮らす息子ともう一度会う算段をつけようとするんですが・・・


個人的な見どころは息子ジェイをめぐるあれこれよりも、エミリーと旧友たちとのやりとり。フランス人って情に厚いイメージはまったくないんですが(失礼!)、住む家がないとなれば手を差し伸べたり、禁断症状に苦しんでいれば代用薬を手に入れてくれたり、しかもそれをさらりとしてしまう。いい人ばかりだ。

わたしが旅先で知り合った何人かのフランス人は、いい人とそうでない人の落差が激しくて、それはどの国民でも一緒なのかもしれないけど、平均ということばが似合わない人たちだなあ、と思っていました。実際のところはどうなんだろう。


それから、エミリーが訪れる何軒かのパリのアパルトマンが、それぞれにおもむきが違ってとっても素敵です。広い前庭のある一軒家ふう、ちょっと冷たい感じのするデザイナーズ、洗練されたエスニック調。パリに住みたくなります。同じアサイヤス監督の「夏時間の庭」でも「家」が重要な役割を果たしてましたが、何かこだわりがあるのかもしれないですね。


ストーリーとは全然関係ないところで興奮してしまいましたが、もちろん1人の女性の再生というテーマでも見応えがあります。

お楽しみに!

「彼女の名はサビーヌ」

彼女の名はサビーヌ(8/22〜)


「仕立て屋の恋」のサンドリーヌ・ボヌールの妹サビーヌは、自閉症という適切な診断を下されることなく精神病院に入る。5年後退院したときには、薬の副作用で30キロ太り、動作も思考も鈍くなり、極度の人間不信に陥っていた。障害者と看護人が対等の立場で過ごせるグループホームに預けられると、精神的には安定したが、5年の間に失われたものはあまりにも多かった・・・


 映画は、現在のサビーヌの暮らしに、入院前のサビーヌのホームビデオ映像を差し挟む手法で進みます。若い頃のサビーヌと、現在のサビーヌがカットバックする場面などは、ついあざとさを感じてしまったりもするんですが、昔のサビーヌの美しく生き生きした様子と、焦点の定まらない目をした現在が違いすぎるので、監督が何気なくした編集にも、見る側が必要以上に意味を読み取ってしまうのかもしれません。


 「へえ〜」と思ったのは、ホーム入居者の親や、看護人が語るフランスの障害者支援の現状。ヨーロッパだから進んでるんだろうな、という逆偏見があったのですが、日本の方が制度としては整ってるかも、内容はともかく。つい最近までサビーヌに適切な診断が下っていなかったというのにも驚きました。みんなと違う人をすぐに異化・分別したがる日本と違って、超個人主義の国・フランスでは、障害も個性のひとつと見なされて、支援という考えが起きにくいのでしょうか・・・。

 出演している看護人に美男美女が多いのは偶然か、という下世話な点も気になりつつ。


 サンドリーヌは偽善的と批判もされたようですが、何もしない正直者より行動する偽善者の方が価値は高い! 7月に上映された「ベルサイユの子」と同じく、フランスの今をかいま見せてくれる映画です。

「今、僕は」

今、僕は(8/15〜)


 ひきこもりの人たちというのはおもてに出てこないから「ひきこもり」なのであって、言葉はよく聞くけれど、実生活で会うことはないんじゃないでしょうか。想像するしかないから、情報も画一的になる。ひきこもる個々人の事情や思いが千差万別であっても。

 私事ですが、高校生のとき亡くなった叔父は、40を過ぎても祖母と二人暮らしで、毎日何をするでもなく食事のときだけ部屋から出てきて、食事が済むとすぐ部屋に戻っていく人でした。けれど子供には優しくて、祖母の家に遊びに行くたび、よく将棋や散歩に付き合ってくれました。当時は「構ってくれる大人」という認識しかなかったのですが、今思えば完全にひきこもりですよね。でも記憶の中には金歯を見せて笑っている印象しかないので、「ひきこもり」に付いて回るネガティブなイメージは薄いのです。

 「今、僕は」は、(世間の、わたしの)「ひきこもり」イメージから欠落した生々しい生活感を見せつけます。主人公の悟はゴミの散乱した部屋でゲームと寝ることに終始し、母親とも極力話さない。感情を表す機会もない。昨日と今日と明日の境界も曖昧な日々。

 そこへ母親の友人・藤澤が現れ、悟を強引に連れ出し、自分の職場のワイナリーでのアルバイトを決めてしまう。もちろん社会経験のない悟だから、仕事をする上でのコミュニケーションなんてとれない。静かな苛立ちを募らせる悟。その苛立ちが、悟が初めて見せる人間らしい感情だが、実際に悟に変化を迫るのはワイナリーでの経験ではなく、思いもよらない出来事。

 結末には、「やっぱり荒療治しかないのか・・・」という無力感を覚えてしまいそうになりますが、逆に人には絶対に変われる可能性がある、という監督のある種ポジティブな主張ともとれます。ちなみに監督は主演も兼ねています。映画監督という人まみれになる仕事と、悟の演技とのバランスをどうやってとっていたのか、興味津々です。

2009年9月12日土曜日

「子供の情景」「精神」




「カンダハール」の監督、モフセン・マフマルバフの愛娘ハナ・マフマルバフによる「子供の情景」。

アフガニスタンを舞台に、一人の幼女がどうしても学校に行きたくて、ノートを手に入れ、学校に辿り着くまでの一日を描く。とにかくバクタイ(↑)役の女の子がかわいい。子どもを滅多にかわいいと思わない(笑)のですが、この子は健気でありながら毅然としているんです。見ていて痛快な子どもって、なかなかいなくないですか?

この子だけを見ているとほのぼの系映画かと思うかもしれませんが、画面全体に緊張感が溢れていて、ざわざわと胸を騒がせます。頻繁に映し出される、タリバンにより爆破されたバーミヤンの仏像跡で戦争ごっこに興じる子供たちが、社会への強烈なメタファーに見えることも。

英題は「Buddha Collapsed Out of Shame」。「ブッダは恥辱のために崩れ落ちたのだ」というこの題名は、父モフセンの有名な著書にインスパイアされています。異文化を排除・破壊する行為には生理的嫌悪を覚えてしまいますが、どうして仏像は「破壊された」のではなく、「崩れ落ちた」のか?先進国側からでなく、アフガニスタン側から状況を見る新鮮な体験ができます。

映画監督一家のアカデミックな空気の中で育ったハナは、幼い頃から天才ぶりを発揮。9才にして短編映画を初演出、15才にしてドキュメンタリーを初監督、また詩集を出版。フィルモグラフィーを見てぶったまげたのですが、なんと19才で「子供の情景」を撮ったそう。まさにアンファン・テリブルの呼び名にふさわしい才能です。

「子供の情景」(2007年/イラン・フランス/81分) 近日上映



精神(8/15〜)


 「選挙」の想田和弘監督の観察ドキュメンタリー第二弾、「精神」。岡山の精神病院に通院する患者たちと、患者から「ブッダより」慕われる山本医師を中心に、よく病名は聞くけれどカーテンの向こう側に透かし見るだけの世界をくっきり映し出します。

 こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、わたし自身「そっちの世界」に興味があって、人並み以上には知っているつもりだったのですが、聞くと見るとは大違いですね。一番想像と違ったのは、インタビューを受けている患者さんたちが皆、ちゃんと筋道立てて自分の状態や、経験や、感情などを語ること。多分どうして自分がこんなことになったのか、理路整然とならざるを得ないくらいに考えて考えて考え抜いてるんだと思います。もちろん人によって程度の差はあるでしょうが、その正直さと自己を見つめる透徹したまなざしに、「健常者」よりもよっぽど真摯なものを感じてしまいました。 

 終盤、自作の詩や短歌を披露して談笑する患者さんたちは、一見どこが普通と違うのかが分かりません。ただその和やかなシーンのあと、監督はひやりとするようなラストを用意しています。それまでこの映画を見てきて、「なんだ、全然わたしたちと変わらないじゃないか」といって偏見のカーテンを開けようとした瞬間、その手を一瞬止めてしまうような。 

 人間が千差万別なら、精神病の症状も同じです。「健常者」の都合のいい類型に当てはめることはできないのです。

2009年8月12日水曜日

バオバブの記憶


 サン=テグジュペリの小説「星の王子様」に登場する、星の奥深くにまで根をはり、やがて星を貫通してばらばらにしてしまう「バオバブの木」。作家にはきっと、何本もの指を空に向かって伸ばすような姿が不気味に見えたのでしょう。けれどアフリカのセネガルに生える実際のバオバブは、精神的な支えと豊穣な実りをもたらす善き隣人です。

 バオバブ林の村に住む一家の男の子、モードゥを中心に、アフリカの大地で慎ましく、けれども豊かに暮らす村人たちの生活を映すドキュメンタリー「バオバブの記憶」。薬にして良し、病の快癒を祈って良し、家畜に樹皮を食べさせても、実をジュースにしても良しと、まさに生きたアロエ軟膏です(超余談ですが、わたしの実家では「アロエ軟膏万能説」が固く信じられていて、切り傷はもちろん火傷、湿疹、たんこぶ(!)にまで広く塗られていました。適当な親だったので・・・)

 バオバブは神聖な木なので、どんな突拍子もない場所に生えていても絶対に切ってしまうことはありません。神聖であると同時に、子どもたちが幹をがしがし削って木のぼりしたり、遊び場でもあります。昔からそこにいるおじいちゃんみたいな存在、でしょうか。

 目にも鮮やかなアフリカ女性の衣装や、突撃!アフリカの晩ご飯的な1シーンも。見た後はきっと庭にバオバブの木を生やしたくなるはずです。



本橋成一監督 過去作品特集!

新作「バオバブの記憶」で舞台挨拶される本橋成一監督の、過去作品の上映が決定しました!自然と人間の関係を描き続けてきた監督の、優しい眼差しに溢れた3本。

「ナージャの村」は、チェルノブイリ原発事故のわずか数キロ先の村に、退避勧告が出ているにも関わらず留まり続ける6家族。放射能に汚染されていても、ユートピアのように美しい自然。「生きてる限りは働かなきゃいけない」と畑を耕し、きのこを採り、自家製ウォッカを作る人々。豊かさってどんなこと?写真家ならではの映像が冴えます。 
続く「アレクセイと泉」も、チェルノブイリ事故で被災したベラルーシの村の話。村の畑からも、小学校跡からも放射能が検出されるが、古くからある泉からは検出されない。「今湧いている水は、百年前の水だからね」と誇らしげに村人は言う。遠く離れた星の光が地球に届くまで、長い時間がかかるように。そうすると、そのまた百年後の水は・・・。続いてゆく命の連鎖について思いを馳せます。 
舞台は一転沖縄。「ナミィと唄えば」のパワフルおばあナミィは三味線一筋人生。レパートリーが幅広すぎて、人間ジュークボックスの異名をとるほど。そんなナミィが三味線片手に旅に出た!旧友との再開、与那国島での鎮魂、どんなときでもナミィは唄う。夢は唄って踊ってヒャクハタチまで。さあみなさんご一緒に。 

期間中は本橋監督による「バオバブ」写真展や、サイン会もございます! もりだくさんな7/11からの上映+イベント、お楽しみに。

小三治


 お年寄りをつかまえて「かわいい」とのたまうようになったのはいつからですかね? 

 言われた方もちょっと嬉しそうにしていたりすると余計鼻白んでしまいますが、このお方にそんな言葉をかけたら多分、殴られます。 

 泣く子も黙る落語家、真打ちの中の真打ち、柳家小三治。落語という伝統芸能の世界に身を置きながら、中野鈴本演芸場にグランドピアノを持ち込んで、趣味の声楽の発表会をしてしまったり、スキーに興じたり。いつでも新しいことに挑戦中の少年のようでいて、決して「かわいく」はない。それは「100点じゃないと気が済まない」と本人が言うように、常に本業の落語で真剣勝負をしているから。 

 弟子にも付き人にも厳しい、でも落語をする自分に一番厳しい師匠の芸には、やはり度肝を抜かれます。左右に首を振る度にまったく違う人物が現れる。 

 落語好きもそうでない方も、凄みのある高座を是非一度。

ベルサイユの子


 昨年37才で急逝して世界中を驚かせたギョーム・ドパルデュー。父ジェラールとの確執、ドラッグ中毒、無謀な運転によるバイク事故で負った脚の重傷、そして切断。波乱に満ちた生涯はそのつど演じる役に反映され、有無をいわさぬ説得力を持っていました。

 特に昨年KAVCでも上映された「ランジェ公爵夫人」の孤独な激情家モンリヴォー伯爵はハマり役、というか多分素ですね。こんな人身近にいたらしんどいだろうな〜、と思いながらも、抗しがたい魅力がむんむん。そんなつれない夫人の代わりにわたしが!と申し出たかったです(即却下されそうだけど)。 

 そのギョームが死の間際に主演した「ヴェルサイユの子」。社会からドロップアウトして、ヴェルサイユの森でホームレス生活をする男ダミアンが、うっかり連れになってしまった少年エンゾの面倒を見ることで、だんだん人間らしさを取り戻していく。でもエンゾは他人の子。ダミアンが悩んだ末にとった行動とは? 

 実際にベルサイユ宮殿の近くの森で暮らすホームレスもいるんだそう。きらびやかな過去の遺物(異物)のそばで、明日をも知れぬ暮らしをするのはどんな気持ちがするもんでしょう。スーパーの期限切れ廃棄物のゴミ箱にはホームレス避けの劇薬が撒いてある。それを見てダミアンが毒づく、「俺たちがどれだけ欲深いっていうんだ!」妙に耳に残ります。 

 エンゾの幼年時を演じるマックスくんは、写真で見るとできそこないのキューピーみたい(ごめん)なんですが、実際動いてるところはかわいいです。でもやっぱり歩くキューピーに見えて仕方ないですけど。  ギョームが人生の最期に放つ光を見届けに来てください。  

アライブー生還者ー


 1993年のイーサン・ホーク主演映画、「生きてこそ」。1972年に雪山で墜落した航空機に乗り合わせた若者たちが、壮絶な体験を乗り越えて生還した実話をもとにした映画でした。けれど食料がほとんどない中で、どうやって16人もの人々が2ヶ月間も長らえたのか?
 「生きてこそ」でもショッキングに描かれていたその内幕を、実際の生還者たちが、30年以上が経過した墜落現場で語るドキュメンタリー「アライブー生還者ー」。彼らは当時20歳前後だったそうなので、現在まだ50代半ばの壮年なのに、老人のように深く刻まれた皺は当時からずっと続く苦悩を物語るようです。
 実際に彼らがどうやって生き延びたのか、「その方法」を採ると決めたときの葛藤、などは実際に映画を見ていただくとして・・・。生還者たちの体験が、ちょうど今読んでいる「倫理ー悪の意識についての試論」(byアラン・バディウ)で述べられていることに偶然リンクしていて、考えさせられました。曰く、「『真理』と『世論としての倫理』は相反するもので、真理が真理である条件としては、ある出来事が作り出した新しい状況の中で不特定の担い手ないし共通の意識(任意の何者か)が立ち現れ、それが出来事に忠実であり続け、世俗の利益や保身に無関係であること。先に控える状況が既知でなく未知であること。例としてはフランス革命」
 革命のような社会的現象でなくても、一連の同じ流れが当時の彼らの中でも起きていたように思います。死ぬことの方が肉体的にも精神的にも楽だった、その中で彼らを生かそうとした「任意の何者か」と「忠実さ」。「世論としての倫理」はそれを否定するかもしれませんが、言葉では到底割り切れない状況を経験した彼らは、わたしたちが計り知ることのできない何かを共有しているかもしれません。

四川のうた


 「長江哀歌」の大ヒットも記憶に新しいジャ・ジャンクー監督の最新作、「四川のうた」は、閉鎖の決まった中国の国営工場を舞台に、ドキュメンタリーとフィクションをモザイク状に組み込みながら、そこで働く人たちの人生=中国の50年の縮図を描きます。 解雇される人たちの嘆き、地方と都会の格差、世代間の隔絶と、問題は日本のそれとうつし鏡です。一度途方に暮れても、自分を信じてまた歩き出す人たちの姿は希望を呼ぶことでしょう。
 
 4月1日発行の「ART VILLAGE VOICE」のトップページのインタビューで、 ジャ監督が日本の皆さんにメッセージを送ってくれています。是非お読みくださいね。

ゼラチンシルバーLOVE



ゼラチンシルバー写真: 銀塩写真。感光材料が塗られたフィルムを露光させる方式で撮影した写真のこと。

 対岸に住む美しい女を、ビデオカメラで24時間監視する男。依頼主の目的がわからないままひたすらビデオを回す男は、いつしか言葉も交わしたことのない女に魅かれるようになる。女は出かける前に必ずゆで卵を一個食べる、まるで何かの儀式のように。
 人が死ぬ現場にたたずむ女に遭遇する男。ある日女は男の前に現れて、自分は暗殺者だと言う。「わたしは美しいものが好き、例えば人の死ぬ瞬間の顔とか」
 男はテレビ画面に映した女を狂ったように、ゼラチンシルバーフィルムで撮り始める。触れられないからこその執着をもって。自分が美しいと思ったものにだけ感光する男の心に、女の姿は救いがたく焼き付けられた・・・

 「見るということの中には必ずサディズムがある」と言ったのは誰だったか、でもこの場合はマゾヒズムでしょう。ふたつは表裏一体とも言われますね。
 浮世離れした設定を支えているのは、暗殺者を演じる宮沢りえの絶対に手が届かない高嶺の花感と、撮る男を演じる永瀬正敏の黙っていても滲み出るセクシーフェロモン。脇(というには豪華すぎる)を固める役所広司、天海祐希も大人の魅力で、映画の世界観を一層揺るぎないものにしています。
 繰上和美監督は、著名人のポートレートを数多く手がける写真家。これが初の映画作品ながら、人物を撮ることへの美学が存分に生かされた映像が見る人を惹き付けてやみません。

 KAVCでは6月公開。もう少々お待ちください!

クローンは故郷をめざす

年度が開けたと思ったら桜の咲いた散ったにやきもきし、あっというまに四月も中旬になろうとしていますね。 今年は桜の開花は記録的に早かったというのに、そのあと真冬並みの気温が続いて、すっかり満開の時期を読み違えてしまいました。おかげで花のない花見をするはめになり・・・ ただ今週いっぱいは楽しめそうですね。 皆さんお花見は済まされたでしょうか。
そうこうしているうちに、今年もGWがやってきます。 5月のラインナップは各所で紹介していますが、最近追加になったばかりの作品の紹介を。
5/16からはミッチーこと及川光博主演の「クローンは故郷をめざす」の上映が決定! 人間の完全なクローンを作ることが可能になった未来。宇宙飛行士の耕一は、宇宙で事故があった際のバックアップにと、記憶も肉体もすべて自分と同じクローンを作ることを勧められる。計画に同意した耕一は事故に遭い帰らぬ人となるが、耕一のデータをすべて再生したクローンが誕生する・・・はずだった。しかしクローンの記憶は、耕一が双子の弟を事故で亡くした少年期で止まっていた。
石田えりや永作博美などの演技派を相手に、映画初主演とは思えないほどの熱演を見せるミッチーがみものです!

キャラメル




 中東女性のイメージを鮮やかに裏切る映画です。
 一口に中東と言っても、イスラム原理主義の独裁政権がある一方、穏健な民主政権もあるというのは知っていたのですが、どうにも女性はチャドル(あの被ると黒いおばけみたいになるやつ)をまとっているイメージが。まあそれは極右だとしても、少なくとも皆スカーフくらいは被っているだろうと思っていたわけです。
 
 ところが。「キャラメル」の舞台は首都ベイルートの美容院。髪を見せること前提じゃないと成り立たない商売ですよね。美容院で働く女性も常連さんもみんな髪巻いたり染めたりオサレ。首都だからっていうのをさっぴいたとしても、軽くショックだったわけです。

 で、レバノン版SATCとか言われてるみたいですが、そこまでスラップスティック色は強くなく、むしろアルモドバル?不倫や結婚への不安、老いらくの恋や、仄めかし程度ですがレズビアン的な要素さえ。レバノンの恋愛事情・・・未知の世界をのぞきに行きませんか!

心理学者 原口鶴子の青春〜100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと〜


 100年前、NYはコロンビア大学に単独留学して、心理学の博士号をとったうら若い日本人女性をご存知ですか?今だって十分高いハードルなのに、渡航先の情報が今とは比べ物にならないほど少なかった当時、並大抵の努力では成し遂げられなかった功績では。
 けれどその努力を努力と思わない人というのが、鶴子さんに感じた印象。映画中で頻繁に紹介される、鶴子さんの著書「楽しき思ひ出」では、日々海外生活の新鮮さに感動し、生き生き毎日を楽しむ姿が浮かんできます。名士の集まる舞踏会に呼ばれて和装でダンスを踊ったこと、ファッションにも強い興味があり、日本の妹に流行の雑誌を送っていたこと。
 もちろん本業の学業にも人一倍力を注ぎました。試験前は寝る間を惜しんで勉強し、自らを実験台にして心理学上の困難な実験を行ったりも。その甲斐あってか、指導教授に業績を高く評価され、論文が専門書に引用されたこともしばしばです。  輝かしい業績に満ちた留学の日々でしたが、日本に戻った彼女を病魔が襲い・・・。
 もちろん恵まれた家庭環境、類い稀な才能と心身の健康という条件が揃っていたためではありますが、彼女を見ていると「何だってできるかも!」という気持ちにさせられるから不思議です。百年前の女性に元気をもらいに来ませんか?

懺悔

年度末いかがお過ごしでしょうか?それなりに忙しいせいもあり、 すっかりブログの更新をサボっておりました。 年度明け4月から、初夏にかけての話題作の上映がぞくぞく決まっております。
 
崩壊前夜の旧ソ連のお膝元、グルジアで撮られた「懺悔」。 なんと日本初公開となるこちらは、「ざくろの色」を思わせる抽象性と詩情を醸しながら、しっかり体制批判にもなっている傑作です。 亡くなった独裁者の死体が何度も掘り返される事件が起こる。被告人として法廷に現れた女性は、独裁者によって理不尽にも引き裂かれた家族の歴史を話し始める。 理不尽を理不尽と知りながら、自分かわいさに何もしない人々。独裁者よりも何よりも、一番怖いのはこういう類いの人たちです。権力者にとって無関心は何よりの援護射撃。自分が世界各地で起こる紛争や戦争に加担していないと、胸を張って言えるでしょうか?

2009年7月4日土曜日

愛のむきだし!


 KAVCでの公開は初夏ごろなのですが、ぶっちぎりのハイテンションムービー「愛のむきだし」、早くも多々お問い合わせを頂いています。
 宗教!盗撮!バイオレンス!近親相姦!一家離散!少年犯罪!ひとつで一本映画が撮れるくらいのキーワードがストーリーにだだ漏れし、ものすごい奔流となって一瞬たりとも飽きさせません。この映画、4時間あるんですけどね。
 なんと言ってもこの映画のパワー、主演のふたりの若いエキスが決め手。主人公ユウ役の西島隆弘くんは、アイドルグループのメインボーカルなのにいろんなものをむきだして新境地を開拓しまくってます。というか劇中の女装がすんばらしい仕上がりで、女子として負けた・・・と言わざるをえない。弱冠22歳にして目をむくほどのプロ根性とふっきれ具合を見せてくれます。むしろ若気の至り?
 もうひとりの主人公ヨーコを演じるのは、江川達也のエロ漫画からそのまま抜け出てきたようなルックスの満島ひかりちゃん。ナイーブなのに硬質で、可憐な表情したかと思えば喧嘩上等。極端から極端への振れっぷりがたまらない。  
 脇を固める俳優陣もくせものばかりです。奥田瑛二の実娘・安藤サクラ、渡部篤郎、吹越満、堀部圭亮。個人的にびっくりしたのは、AV制作会社のグループ面接のとき、一緒に面接受けてたアノ人。「えっ、生きてたの?」くらいに久々に見た・・・
 アドレナリン出まくる殺陣シーン、ベタを極めたお笑い、その合間に思春期の行き場ない感情を思い出させられたり、なんせ見る側も忙しい4時間ですよ!